カテゴリー: 日常臨床

  • 症例報告を書くということ

    私が医師を目指したきっかけは、映画 『レナードの朝』 を観たことでした。
    レナードの担当医である セイヤー先生 の姿に、強く心を惹かれたのです。

    セイヤー先生は、患者さんを「症例」としてではなく、一人の人間として丁寧に見つめていました。同時に、医師として徹底した観察も怠らない。その姿勢がとても印象的でした。
    観察の一つとして、彼はビデオ撮影を行っていました。

    物語の中で、レナードが急激に病状悪化し、激しい苦しみの中にある場面があります。
    そのときレナードは、「ビデオを持ってきて撮影しろ」と言います。

    ビデオを持ってくるものの、あまりに辛い状況を前に、セイヤー先生は「とても撮れない」とためらう。
    しかしレナードは叫びます。

    「回せ、回せ!」
    「学べ、学べ!」
    「俺のために学べ!」

    この場面は、今でも私の心に強く残っています。

    「俺のために」という言葉は、決して自分一人のためだけではない。
    同じ施設にいる、同じ病気を抱えた仲間のため。
    世界中にいる、同じ病に苦しむ患者さんのため。
    そして、これから先、同じ病気になるかもしれない未来の患者さんのため
    私はそう解釈しています。


    患者さんは一人ひとり、まったく違う人生を歩んでいます。
    その人生の途中で、たまたま病気を抱えることになる。

    同じ病名であっても、

    • 現れる症状は違い
    • 困っていることも違い
    • 抱えている悩みも違い
    • 大切にしているものも違う

    そして、幸せの形も、それぞれ違います。

    患者さん一人ひとりは、その病気について、教科書には載っていない多くのことを私たち医師に教えてくれます。
    私たちの仕事は、その違いを丁寧にすくい上げ、理解し、学ぶことです。

    しかし、それだけでは十分ではありません。

    学んだことを、記録し、言葉にし、共有すること
    それによって初めて、その気づきは、目の前の一人だけでなく、世界中の人、そして未来の患者さんのための知識になります。

    症例報告とは、ある一人の患者さんの経過や、そこから得られた気づきを、医学の言葉で記録し、共有する文章のことです。
    どんな研究も、必ずたった一人の患者さんから始まります。

    その一人を丁寧に見つめ、背景を理解し、言葉として残す。
    私はそれを、医師の大切な役割の一つだと思っています。


    症例報告は、決して効率の良い仕事ではありません。
    時間がかかり、労力の割に評価されにくく、業績としては重視されないことも多い。
    そのため、避ける医師が少なくないのも事実です。

    それでも私は、症例報告を書くことをやめたいと思ったことはありません。

    なぜなら症例報告は、いつも「誰かの人生」から始まり、
    「誰かの未来」を支える知識として残るものだからです。

    「俺のために学べ」

    その言葉の意味を、医師になった今、
    私は少しずつ、実感をもって理解できるようになってきた気がしています。

    ※このブログタイトル awakenings は、映画『レナードの朝』に由来しています。